2022年2月24日木曜日

禍福は糾える縄の如し

 恥ずかしながら、この諺は知らなかった。 

鬼滅の刃・遊郭編で、妓夫太郎が黒焦げになった妹の梅を抱きしめながら、自分たちの不幸な運命を恨んで叫んだ言葉として一躍有名になった。

意味は、災禍幸福とは糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がないということ。「人間万事塞翁が馬」とほぼ同義だという。

まず、「糾える(あざなえる)」 が読めない。また、意味も分からない。

諺の全文を読めば、交互に禍福が来るのかな、となんとなく分かるような気がするが、「糾える」だけでは無理だ。「糾弾」の「糾」であるが、糾弾の意味とは使い方も意味も全く違う。

こんなちょっと難しげな諺をなぜ 無教養(たぶん)の妓夫太郎が使っているのか?(まあ、使い方はちょっと?(クエスチョン)。禍福が交互に来るというより表裏一体だという戒めの諺なので・・・)

まあ、マンガだから時代の雰囲気を出すために原作者が敢えて使ったのだろうが、冷静に考えればなかなか無理矢理な言わせ方のようにも見える。いずれにしても、アニメを 見て諺を知るのも珍しいことだ。

歳をとっても世の中にはまだ知らない事がたくさんあるということだろう。

 

災禍と幸福とはのように表裏一体か?

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