2022年1月4日火曜日

給与がない淋しさとは

 コロナ禍で一時帰国してから、労働収入というものが無くなった。

自分の知識や労働時間を売って対価としてもらうものが、全く無いと寂しいものだ。金額の多寡はいずれにしても世に中に役立っていない感がある。もちろん厚生年金や企業年金があるので生活には困らないが(贅沢はできない)。

しいて労働?収入があるといえば、Google AdSense や Amazon assosiate くらいか。それでもスズメの泪くらいの金額でしかないのだが。 

これは40年間も一労働者として働いて体に沈殿した澱のようなものか。どうも体が労働の苦役と対価としての給与を欲しているようだ。もう自分の好きな事ができるのだから、好きな事をやっていれば良いものを。朝から一杯ひっかけるもよし、朝風呂に入るもよし、なんでもござれだ。

 しかし、いまいち充足感に欠ける。まだセブにいれば緊張感があるのか気にならなかった(まあ、多少なりとも仕事はあったが)。

そのうち慣れるのか? 早くセブに戻ったほうがよいかも(まだ帰れないけど)。

給与はいつになっても嬉しい

 

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